出会い

アンドレマルローとの出会い

 

 オリンピックと水井 1968  グルノーブル

グルノーブルの冬季オリンピックの選手村に教会が設置されていた。その参道のためのレリーフ壁の注文を国から依頼される。40mの2本の壁状のレリーフ。「ミクロコスモス マクロコスモス」( 130c x 8100 x 40)

ミクロコスモス、最小である人間とマクロコスモス、最大である自然を表現している。シャルル·ド·ゴールの時代、文化大臣であり芸術の愛好家であるアンドレ·マルローが記念碑を訪れ、その作品を「エクセラント見事である。」と称賛した。

アンドレ マルローと水井康雄

ジャン コクトーとの出会い

コクトーと水井

1955年、パリ、オペラ座近くのギャラリー R. Volneyにおいて、在仏日本人美術展が開かれた。ジャン コクトーがカエルの作者を呼んでいると告げられ、「この作品が好きです。」と褒められた。年と共に、水井の心の中で、コクトーの存在は巨大になっていった。
詩人、画家、映画製作者のジャン・コクトーは、水井のすっきりとしたラインとユニークなスタイルに目を止めた。 特にこの「カエル」の作品に。

コクトーと水井

1955年、パリ、オペラ座近くのギャラリー R. Volneyにおいて、在仏日本人美術展が開かれた。ジャン コクトーがカエルの作者を呼んでいると告げられ、「この作品が好きです。」と褒められた。年と共に、水井の心の中で、コクトーの存在は巨大になっていった。

詩人、画家、映画製作者のジャン・コクトーは、水井のすっきりとしたラインとユニークなスタイルに目を止めた。 特にこの「カエル」の作品に。

『がま蛙

1955

素焼きを石で研いだ 50 cm

芸術文化勲章

芸術文化勲章は、1957年5月2日に設立されたフランス文化省が運用する名誉勲章である。芸術・文学の領域での創造、もしくはこれらのフランスや世界での普及に傑出した功績のあった人物に授与される。発案者の当時の文化大臣アンドレ・マルローによると「芸術家、作家、創作者から尊敬され羨望される」ものであるという。

シュヴァリエ、オフィシエ、コマンドゥールの3つの等級からなる。

水井は、1985年に最高位のコマンドールを受賞している。映画監督黒澤明も、コマンドールを受賞している。

水井は、数多くの世界彫刻シンポジウムに参加し、(8カ国、10回)

この活動の先達的存在である。オーストリアのセントマルガレーデンに始まり、イスラエルのネゲブ砂漠、日本の真鶴、アメリカのバーモントなど、そしてフランスのグルノーブルのオリンピックにおいて80メートルの彫刻を作った。その後、この大作経験を生かし、フランス国内で、1%アートを数多く実現した。彼の作品タイトルが示す東洋的なポエジーは人々に感銘を与え、現代彫刻の街との一体化に貢献した第一人者として、この勲章の対象とされた。

左から、水井、最初の妻 清公、フェノザ

アペル・レ・フェノザ

彼らの出会い、共有する時間、、、

アペル レ・フェノザとの交流

1954年夏から4年間、午後はフェノザの助手を務めた。フェノザは水井に毎日一点、粘土で小作を作って持つことを義務づけた。数ヶ月後に水井は自分の創作力の空白に絶望を覚えた。しかし、いつもギリギリにその一点が生まれた。この後、水井の人生は、ユーゴスラビア、オーストリア、イスラエル、グル​​ノーブル、日本、チェコスロバキアなど、さまざまな国で開催される11の彫刻シンポジウムに招待され、 フランスでは、1%アートの大作連続の公共巨大モニュメントの制作に変化していった時に、小品作の経験が創作の原動力になったこと思い、それに感謝していると語っている。

フェノサは、彼のアトリエに猫を飼っていた。
水井は、その猫をモデルにこの彫刻を作った。
題して「フェノサの猫」。