作品集
石と行
水井康雄は言った。
「大自然の中の私は小さい。それに私の素石は美しい。
溜息が、つぶやきに、かたりかけがが熱気を帯びてくる
が、石は知らぬ顔だ。
気を悪くしては、なじり、そしり、けしかける、悪態の前 に石は素知らぬ顔だ。懇願や哀訴に、苛立った私が敢然と 挑みかかるとき、石は巨岩の如く、私の前に立ちはだかる。
それから、この美しい石は、ここだ、あちらだ、こうだ、ああだと、私に命じてくる。私自身が、この大自然の中で は、本当に、無に等しいと感じたとき、私の彫刻はこの大 自然への供物なのであろう。」
彫刻への始動
1945年、第二次世界大戦終戦で、魂が抜けたような20歳の私は、案外早く立ち直った。
「大仏の鋳物」を工業大学の卒論に選び、その時代の金銅仏に見せられて彫刻を志した。
そして、東京芸大に入学し、パリの美術学校に学んだ。その当時、ロダンが若い彫刻家のためにと、残した言葉を知り、胸を撃たれた。それは「忍耐! インスピレーションに頼らないこと。
アーティストの唯一の資質は、智恵、注意深さ、誠実さ、そして意志である。天才を信ずるな。叡 智を持って職人のように仕事をせよ。」と。
「 忍耐 ! 叡智を持って職人のよう
に仕事をせよ。」
オーギュスト・ロダン
水井の石の仕事は、全て手仕事である。
ハンマー、さあざまな鑿を使って石に向かう。
時間と忍耐の仕事は、 現代では考えれない精神力と体力が必要であった。