4つの完成されたフォルム
複揺 《オシロ・コンプレックスⅡ》Oscillo-complex Ⅱ marbre / 2 m x 0,8 x 0,7 / 1986 / Sapporo Sculpture Park, Sapporo)
《オシロタワー》 Oscillo-tour (ラコスト産石灰石/ 2.0m x 0.6 x 0.6/ 1972年7月/ ラコスト フランス)
《オシロ・ステップ》Oscillo-escalier (石灰石 / 2.0m x 6.0 x 1.3 /1977年5月 /ヴィルヌーヴ・ダスク、シュナイデーと新都市計画センター
《オシロ・コンプレックスⅡ》《白煙》 Fumée blanche (コニャック産石灰石 / 3.1m x 1.1 x 0.9 / 1975年5月 / ベルギー、アントワープ、ミドルハイム彫刻公園)
揺動する彫刻/オシロレリーフ
揺動する彫刻/オシロレリーフ 1972-1982頃
オシロレリーフとは、直線が縦振動と横振動をしながら電熱線で切ったフォル ムである。一見自由にみえるフォルムであるが、注意深い技術的なコントロールを秘めている。このフォルムは、《開く壁》Le mur qui s’ouvre(コンクリート/4,5m x 13/フランス,ランブイエ高校/1973)によって考案され、以後、十年近い制作の基本アイディアとなった。この写真の彫刻は、《複揺》Oscillo-Complexe(石/3m x 1,3 x 1,2/1981美ヶ原高原美術館 長野)における第二回ヘンリー・ムーア 大賞展に招待された時の作品で ある。作品は7トンにも及び、作者はフランスの ナンシーで制作し、完成した作品は飛行機で日本に運ばれた。
壁状の彫刻
1964年東京オリンピック《余韻の化石》Les murs des fossiles(と1968年フランスのグルノーブル冬季オリンピック《マクロコズムとミクロコズム》Macrocosme et Microcosmeにみられるような壁状のレリーフ。この写真は、《コスモス》Cosmos(石/15m x 18 x 0,06/1970/フランス、ビルフランシュ工業学園 Cité Technique deVillefranche-Sur-Saöne France )「天地の発想で6cmの厚さ360枚の石板の壁に光と陰を模索した。」
《開く壁》(セメント /4.5m x 13.0 x 1.4 /1972年12月 /ランブイエ、ランブイエ高校 Lycée de Rambouillet)初めてコンクリートを使った作品。
大量の発泡スチロールを電熱線で切って造形を試行した最初の作品でもある。その後、10年間、そのテクニックを発展させていった。
冬の一時期しか火が当たらない場所に、頂きに、大きな漏斗状の穴を作り、陰の面に光を注ごうとした。
《豊穣の角》 La corne d’abondance (石/ 3.0m x 4.0 x 1.0 / 1973年6月/ 山と彫刻展 /アッシ高原)
Jean-Pierre Lemesleの詩を中心に、ヨーロッパ、アメリカ、日本で現代彫刻を代表する約20人のアーティストが集うプロジェクト「Mountain Sculptures-Poem in Space」。 彫刻は、モンブラン山塊に面した南に設置された。水井は、山の動きと共存する形を模索したと語っている。
《複揺》
(石/3m x 1,3 x 1,2/1981美ヶ原高原美術館 長野)
日本における第二回ヘンリー・ムーア 大賞展に招待された時の作品で ある。作品は5トンにも及び、作者はフランスの ナンシーで制作し、完成した作品は飛行機で日本に運ばれた。1969年に開館した箱根彫刻の森美術館は、70,000㎡の広さを誇る約100点の屋外彫刻や、19世紀と20世紀の日本と西洋の芸術家による作品を常設展示している。、現在は300点の作品のコレクションを収容している。 ヘンリー・ムーアのコレクションは36作品あり、世界で最も重要な美術館の1つである。
《雲の橋》
(石 / 3.6m x 5.6 x 1.6 /1978年6月 /石 / 3.6m x 5.6 x 1.6 /1978年6月 /ボルドー、ミシェル・モンティニュ高校
揺れる動きを、アーチの形に。
彫刻ジグザグ
1972-1982
《ジグザグ》ZigZag(石/2m x 0,4 x 0,4/1974/フランス ラコトのアメリカ美術学校)発泡スチロールを立体画用紙のように切り出し構築した作品。このアメリカの美術学校で、水井は夏の期間、野外彫刻の指導をした。前世紀半ば、田舎の過疎化に乗じて、パリのアーティスト達は競って各地にアトリエをもった。プロバンスのラコストのマルキ・ド・サド公爵の城近くにはニューヨーク出身の画家ベルナールフリムが村の中心にアメリカの大学生を対象にした美術学校を開いた。水井は20年も関係し、毎夏一点の作品を生徒とともに作った。
《ジグザグI》 Zig et Zag I
(石/ 2.0m x 0.4 x 0.4/ 1973年 7月/ スキャッド ラコスト SCAD Lacoste)
《ジグザグIV》 Zig et Zag IV
(石 / 0.8m x 0.25 x 0.25 / 1974年12月/ ラコスト Lacoste)
壁状の彫刻
1964 –
1964年東京オリンピック《余韻の化石》Les murs des fossiles(と1968年フランスのグルノーブル冬季オリンピック《マクロコズムとミクロコズム》Macrocosme et Microcosmeにみられるような壁状のレリーフ。この写真は、《コスモス》Cosmos(石/15m x 18 x 0,06/1970/フランス、ビルフランシュ工業学園 Cité Technique deVillefranche-Sur-Saöne France )「天地の発想で6cmの厚さ360枚の石板の壁に光と陰を模索した。」
《海の祭》 Fête de Mer
(石 /1.3m x 20.0 x 0.35 /1977年 3月 /ブルブルグ、ブルブルグ中学校 C.E.S de Bourbourg)
《海》 La mer
(石/ 1.3m x 15.0 x 0.35 /1970年9月 /シャ トールー、シャトールー中学校 C.E.S de Châteauroux)
大きな頭のような彫刻
1960 – 1971
《ネゲブの自然に捧ぐ》Hommage à Néguev(大理石/3,7m x 1,7 x 0.6/1962イスラエル ネゲブ砂漠)イスラエルシンポジウムの時に制作された作品。水井曰く「この2ヶ月の制作期間は私にとって野生の大自然の洗脳であった。まるで 私の彫刻はこの砂漠という広大さのなかで、大海における一滴の水のようだと感じた。この大自然を前に、はじめて心から謙虚に鑿ノミをとることができた。最後に頂上部分に楕円穴をくり抜いた時、太陽の光が自分のほうへ昇って来たと感じた。」
《ミストラル》 Le mistral
(石 /2.5m x 70.0 x 0.4 /1970年10 月 /ガルダンヌ、ギャルダンヌ中学校 C.E.S de Gardanne
《太陽の番人》 Gardien du soleil
(石 /4.0m x 1.0 x 1.0 /1973 年11月 /ヴィニューシュルセーヌ、セーヌ湖畔ビニュー学園