依頼作品
1%アート
フランス政府では、公共建築物の建築費の1%を芸術作品にあてるという法律が1951年(昭和26年)に施行された。現在もそれは継続し拡大されている。この公共の芸術のための彫刻家の選定は厳しく、すでに選考された彫刻家のプランによって文化省の選考委員が協議して決定される。水井は、1968年(昭和43年)から1982年(昭和57年)にかけて、この1%アートの枠である石彫刻の大作をフランス全土において30作品実現をする。水井にとって第一回目のフランス文化省からの指名は、ボルドー大学法学部(1968年)であった。ここでは《泉の化石》を設置。また、この依頼は、グルノーブル冬季オリンピックの彫刻が評価されてであった。他の作品《開く壁》Le mur qui s’ouvre(コンクリート/4,5m x 13 x 1,4/フランス、ランブイエ高校/1972)は、はじめてのコンクリート作品であり新たな挑戦があった。造形の構想は大量の発泡スチロールを電熱線で切りだしながらおこなわれる。まるで光を招待するかように、頂に大きな漏斗状の穴を作り影の面に光を導こうとした作者の意図がうかがわれる。それは強靭な石と柔軟な感性が素材の中にびっしりと凝固しているようで、ヨーロッパの伝統にない、東洋の幽玄性が感じられると評価されるが、水井自身は「長いことパリでヨーロッパを吸収し、それが飽和状態になった時、これでは自分(日本)がなければ太刀打ちできないと思った。それで東洋を勉強し直し仏典なども随分読んだ。」といっている。
《開く壁》
(セメント /4.5m x 13.0 x 1.4 /1972年12月 /ランブイエ、ランブイエ高校 Lycée de Rambouillet)初めてコンクリートを使った作品。
大量の発泡スチロールを電熱線で切って造形を試行した最初の作品でもある。その後、10年間、そのテクニックを発展させていった。
冬の一時期しか火が当たらない場所に、頂きに、大きな漏斗状の穴を作り、陰の面に光を注ごうとした。
公共彫刻
フランスにおける公共作品依頼
知積
(ラコスト産石灰石 / 4.0m x 2.7 x 0.6 /1976年8月 /パレゾー、パレゾーエコールポリティック Campus de l’École polytechnique de Palaiseau)
ナポレオンが国の技術育成のために建てたのが、フランスのエリート校となった。近代化した新施設はベルサイユ西の広大な土地に移った。
発想は研究資料の文鎮であり、研究者の手と資料を束ねる力を表現した。
《ヴァイタリティの泉》
Source de vitalité (石 / 3.0m x 5.0 x 1.0 /1973年2月/ランブイエ、ランブイエ工業高校 Lycée Technique de Rambouillet )
シリンダー遊び、機械でない機械。活力生産機の心を作る。
公共彫刻 日本
《デート6》
Six crête (インド砂岩/ 7.0m x 2.2 x 2.0 放水部:16.0m x 32.0/ 1985年6月/ 神戸ユニバーシアード彫刻噴水、総合運動公園駅南口前に設置、兵庫)
水のエンジニア達の応援を得て、大放水、大噴水で、衝突やねじりの効果を使った。
日本における作品依頼
《水登》
《水登》 Jet d’eau (インド砂岩 花崗岩/6.0m x 1.1 x 1.1/ 1992年6月/スイトピアセンター、岐阜)
逆さに登る水柱。
水が3つで、淼 。中国の洞庭湖の湧水のように、ビョウビョウ淼 淼 とたたえている。その淼の水が、垂直方向に噴出しているのだ。
《開空 ひらく
1997
3.0m x 1.2 x 0.7/ 大垣市情報工房、岐阜
本を開き、未知を尋ね、胸を開いて愛を語る。
ブロンズパズル
1984
ブロンズ / 2.2m x 2.1 x 0.15/ 私邸 東京都
この家の廊下は総メタル。この重厚なブロンズのレリーフでも似合う豪邸であった。
集宇 つどう
1998
インド砂岩/ 3.3m x 2.2 x 0.9/ 大垣市情報工房、岐阜
世界の頭脳が集う、そして愛も集わねば。
《笑いのこだま》 L’écho du Rire
(バーモント産大理石 /2.3m x 1.8 x 1.0 /1973年4月/アメリカ、フロリダ州 レンネン財団 後にパームビーチ州立カレッジに設置)
ダルマが谷に転がり落ちた時、ダルマは笑っていた。
水井がそのダルマに答える。
これが、あなたが笑った時にできたこだまです。
《余韻の化石》Les murs des fossiles
《余韻の化石》Les murs des fossiles(花崗岩/2mx 93x 0.3/国立代々木競技場/丹下健三依頼)。国
立代々木競技場は、丹下建三の設計で1961年から1964年にかけて東京の代々木公園にたてられた
スポーツ施設である。その回廊を飾る巨大なアブストラクトの壁面レリーフは、全長93mという
巨大なものであり、35cm -1m82cm x 60cm x 30cmの408個の御影石のブロックから構成されてい
る。この御影石は、岡山県の「石の島」と呼ばれる北木島のもので、総重量は160トンにも達する
。水井は1963年(昭和38年)10月に丹下から依頼を受け1964年(昭和39年)2月から構想に入り
、4月から7月まで北木島で10人の助手とともに粗彫りをしそれを東京に運び、8月末に完成させた
。9月には外国のプレスに紹介された。「化石の余韻」は、水井の原風景であり、人生経験や自然
との深い関わりの中で生きる心象のレリーフである。石のなかから掘りだした- 旅 -炎 – 重さ – 香
り- 執念 – 水 – 智慧 – 音 – 時 – 光 -の10のイメージである。この作品も作者の常の仕事にあるよう全
行程において手作業を貫き、機械を全く使わず、全部が鑿/トンガリノミ、クシノミ、大小のハン
マーで作られた巨大レリーフ作品であった。
《マクロコズムとミクロコズム》Macrocosme et Microcosme
クシノミ、大小のハンマーで作られた巨大レリーフ作品であった[7]。《マクロコズムとミクロコ
ズム》Macrocosme et Microcosme(石/13mx 81x 0.4/グルノーブルオリンピック選手村)。グル
ノーブルの冬季オリンピックの選手村の教会にいたる参道のためのレリーフ壁。最大と最小の世
界を表現した。最大は太陽、森、山、川など個を超えた発想、最小は人間の内面の葛藤という個
からの発想であり、<自然と人間>の世界を表現している。当時シャルル・ド・ゴール政権のもと
、芸術への造詣が深いアンドレ・マルロー文化相の訪問を受けている。アンドレ・マルローの『
反回想録』(新潮社、1977)の翻訳者、竹本忠雄からマルローの事を聴いていたが、僥倖にもグ
ルノーブルの彫刻壁の訪問を受けた。
フランス
《鳥の墓》 Tombeau des corbeaux (ブロンズ /0.75m x 0.28 x 0.28 /1958年4月 /第一回パリビエンナーレ展 彫刻の部でアンドレシュス賞を受賞、 ラコスト)
《馬頭像アミラル》 Amiral:tête de cheval (ブロンズ /1.2m x 0.9 x 0.6 /1963年3月 /パリ、ブローニュの森 Bois de Boulogne à Paris)[65]
《鉄ベラデッサン 3点》 (1966、72、74年 / ヴォーヴェ オワーズ県立美術館 MUDO à Beauvais)
《マクロコズムとミクロコズム》 Macrocosme Microcosme (石 /1.3m x 81.0 x 0.4/1968年8月/グルノーブルオリンピック、グルノーブルオリンピック村 Village Olympique de Grenoble)
《泉の化石》 Jet d’eau pétrifiée (コニャック産石灰石 /3.2m x 8.0 x 8.0/ 1968年11月/ボルドー、ボルドー大学法学部 Université de Bordeaux)
《南仏の花》 Fleur du Midi (石 /3.0m x 1.0 x 1.0 / 1968年12月/ イエール (ヴァール県) 、イエール中学校 C.E.S d’Hyères)[68]
《コスモス》 Cosmos (石/ 15.0m x 18.0 x 0.06 /1970年3月/ ビルフランシュ・シュル・ソーヌ、リセ・ルイアルマン Lycée Louis Armand de Villefranche-sur-Saône )
《ある発生》 Une naissance (石 /1.3m x 36.0 x 0.35/ 1970年6月 /パリ、パリ工業大学理工院 UIT Paris Decarte)
《太陽 森 祭 》 Soleil – Forêt – Fête (大理石と石/ 1.3m x 36.0 x 0.35 / 1970年7月 /パリ、ベルサイユ通り幼稚園 Ecole maternelle de Avenue de Versailles, Paris)
《海》 La mer (石/ 1.3m x 15.0 x 0.35 /1970年9月 /シャトールー、シャトールー中学校 C.E.S de Châteauroux)
《ミストラル》 Le mistral (石 /2.5m x 70.0 x 0.4 /1970年10月 /ガルダンヌ、ギャルダンヌ中学校 C.E.S de Gardanne)
《ランデブーポイント》 Le point de rencontre (大理石と石 /1.0m x 2.0 x 2.0 /1971年3月 /パリ、ベルサイユ通り幼稚園 Ecole maternelle de Avenue de Versailles, Paris)
《対話》 Dialogue (石/ 3.7m x 2.0 x 0.8/ 1971年9月/ メッツ、メッツ大学文学部 Faculté des lettre de Metz )
《オシロタワー》 Oscillo-tour (ラコスト産石灰石/ 2.0m x 0.6 x 0.6/ 1972年7月/ ラコスト Lacoste)
《開く壁》 Le mur qui s’ouvre (セメント /4.5m x 13.0 x 1.4 /1972年12月 /ランブイエ、ランブイエ高校 Lycée de Rambouillet)
《ヴァイタリティの泉》 Source de vitalité (石 / 3.0m x 5.0 x 1.0 /1973年2月/ランブイエ、ランブイエ工業高校 Lycée Technique de Rambouillet )
《豊穣の角》 La corne d’abondance (石/ 3.0m x 4.0 x 1.0 / 1973年6月/ 山と彫刻展 /アッシ高原 Expo-Plateau d’Assy, J.P.Lemesle)
《ジグザグI》 Zig et Zag I (石/ 2.0m x 0.4 x 0.4/ 1973年7月/ スキャッド ラコスト SCAD Lacoste)
《命の気配》 Le signe de la vie (石 / 3.0m x 16.0 x 2.5 /1973年9月 /フランス、アングレム工業高校 Le lycée Charles Coulomb d’Angoulème])
《太陽の番人》 Gardien du soleil (石 /4.0m x 1.0 x 1.0 /1973年11月 /ヴィニューシュルセーヌ、セーヌ湖畔ビニュー学園 Groupe Scolaire de Vigneux-sur-seine )
《山頂》 Les cimes (ポリゾル /3.0 m x 6.0 x 0.6 /1974年5月 / ウーアン・リオン、ウーアン中学校 C.E.S d’Oullins,Lyon France)
《鶏叫》 Le chant du coq (プラスティック / 2.5m x 0.6 x 0.2 /1974年6月 / フランス シャモニー=モン=ブランでの展覧会 Expo-en group á Chamonix France, J.P. Lemesle)
《連峰 II》 Les crêtes II (石 /2.0m x 5.5 x 1.5 /1974年11月 モンフォール・ラモリ、モンフォール・ラモリ中学校 C.E.D de Montfort-l’Amaury)
《ジグザグIV》 Zig et Zag IV (石 / 0.8m x 0.25 x 0.25 / 1974年12月/ ラコスト Lacoste)
《銀河》 Voie lactée (大理石 / 2.2m x 13.0 x 0.03 /1975年1月 / パリ 東京銀行支店 Paris / 早間玲子)
《連峰 III》 Les crêtes III (石 /2.0m x 5.0 x 1.3 /1975年4月 日本国際交流基金展 (ミドルハイム彫刻公園 アントウェルペン ベルギー)、ラコスト)
《ジグとザグ(2点)》 Zig et Zag (石/ 1.0m x 0.6 x 0.6 / 1975年7月/ スキャッド ラコスト SCAD Lacoste)
《発芽の門》 La porte de germination (石 /5.0m x 3.0 x 0.8 /1975年10月 /ドンバル、ドンバル工業高校 Lycée Technique de Dombasle France)
《オシロ・カスケード》 Oscillo-Cascade I (ミューズ産石灰石/ 2.0m x 6.0 x 1.0 / 1975年11月/ ラコスト Lacoste)
《ソーヌ河》 La Sâon (石 / 2.5m x 25.0 x 0.5 /1975年12月 / ビルフランシュ・シュル・ソーヌ、リセ・ルイアルマン Lycée Louis Armand de Villefranche-sur-Saône )
《オッシロ・アーチ》 Oscillo-Arc (石灰石/ 1.5m x 4.0 x 0.4 / 1975年11月/ ラコスト Lacoste)
《知積》 Sagesse (ラコスト産石灰石 / 4.0m x 2.7 x 0.6 /1976年8月 /パレゾー、パレゾーエコールポリティック Campus de l’École polytechnique de Palaiseau)
《風切りの壁》 Coupe-Vent (石 /2.0 m x 38.0 x 0.35 /1976年9月 /シャトーブリアン・レンヌ、シャトーブリアン・レンヌ高校 Lycée de Châteaubriant, Rennes )
《賀石》 Une ronde (石 /3.4m x 5.6 x 2.6 /1976年12月 /コルマール、コルマール学園 Cité Technique de Colmar France)
《海の祭》 Fête de Mer (石 /1.3m x 20.0 x 0.35 /1977年3月 /ブルブルグ、ブルブルグ中学校 C.E.S de Bourbourg)
《オシロ・ステップ》 Oscillo-escalier (石灰石 / 2.0m x 6.0 x 1.3 /1977年5月 /ヴィルヌーヴ・ダスク、シュナイデーと新都市計画センター Établissement public d’aménagement de Lille-Est)
《オシロ・エレメント》 Oscillo-élément (石灰石/ 2.0m x 1.0 x 1.0 / 1977年7月/ ラコスト Lacoste)
《オシロ・カスケードII》 Oscillo-cascade II (石 / 3.0m x 12.0 x 3.5 /1977年10月 /ナンシー、ナンシー大学理学部 Faculté des Sciences de Nancy France)
《水のカーテン》 Rideau d’eau (セメント /3.2m x 11.0 x 0.3 /1977年11月 / 新都市ルボードロイユ Fontaine de la Place de Quatre saisons,Val-de-Reuil
《泉水スクエア》 Fontaine au filet d’eau (セメント / 2.0m x 2.0 /1978年2月 /ヴィルヌーヴ=ダスク、シュナイデーと新都市計画センターÉtablissement public d’aménagement de Lille-Est )[76] Ville nouvelle de Lille-est France)
《雲の橋》 Arc du Nuage (石 / 3.6m x 5.6 x 1.6 /1978年6月 /ボルドー、ミシェル・モンティニュ高校 Lycée Michel Montaigne de Bordeaux)
《雲の番人》 Le gardien des nuages (石灰石 / 2.1m x 1.0 x 0.6 /1978年7月 )
《泉水スクエア (追加)》 Fontaine au filet d’eau (セメント / 10.0m x 2.7 x 0.1 /1978年10月 /ヴィルヌーヴ・ダスク、シュナイデーと新都市計画センターÉtablissement public d’aménagement de Lille-Est )[77] Ville nouvelle de Lille-est France)
《風をはらむ石》 Pierre qui s’enfle (石灰石 / 2.0m x 1.0 x 0.4 /1979年7月 / ラコスト Lacoste)
《ななめ組》 Diago complexe (石灰石 / 2.0m x 1.0 x 0.4 /1980年7月 / ラコスト Lacoste)
《台風の目》 L’oeil du Cyclone (石 /2.4m x 3 x 0.6 /1980年10月 / サンドニ、アルフレッド・シスレー中学校 Collège A.Sisley de L’Île-Saint-Denis)
《カマルグ》 Camargue (ラコスト産石灰石 / 1.2m x 2.0 x 0.6 /1981年7月 / ラコスト Lacoste)
《連峰》 Oscillo-Crêtes (石 /2.4m x 7.5 x 1.8 / 1981年5月 / リヨン、リヨン・ブロン陸軍
《ファミリーアーチ》 Arc en Terre (石 / 2.5m x 3.6 x 1.1/ 1982年5月 /ラット・モンペリエ、Lattes, Montpellier)
《空錐》 Mèche au ciel (ラコスト産石灰石 / 2.0m x 0.6 x 0.45 /1982年7月 / ラコスト Lacoste)
《三つ窓》 Trois fenêtres (ラコスト産石灰石 / 2.0m x 0.9 x 0.9 /1983年7月 / ラコスト Lacoste)
《星座》 Constellation (ラコスト産石灰石 / 2.0m x 1.1 x 0.6 /1984年7月 / ラコスト Lacoste)
《祝福》 Les Bénédictions (インド砂岩(白 赤) / 1.0m x 0.95 x 2.0 /1985年4月 / ラコスト Lacoste)
《舞窓》 Fenêtres tournantes (ラコスト産石灰石 /2 .0m x 0.8 x 0.7 /1985年9月 / ラコスト Lacoste)
《笑石I》 Pierre qui rit I (ラコスト産石灰石 / 2.0m x 1.0 x 1.0 /1986年9月 / ラコスト Lacoste)
《サボテンテーブル》 La table cactus (ラコスト産石灰石とサボテン / 0.7m x 1.1 x 1.0 /1988年7月 / ラコスト Lacoste)
《石の宮》 Mini palais (ラコスト産石灰石 / 1.1m x 1.1 x 0.95 /1988年9月 / ラコスト Lacoste)
《斜柱》 Colonne biaise (大理石 /1.8m x 0.65 x 0.65 /1989年5月 / ラコスト Lacoste)
《希望の壁》 Le mur de l’espoir (ラコスト産石灰石 / 13.0m x 4.5 x 1.2/ 1989年8月 / ラコスト Lacoste/ ジェームス・ディーン・モニュメント /大西清太 )[79]
《四重奏》 Quartete (ラコスト産石灰石 / 3.0m x 0.95 x 0.85 /1990年9月 / ラコスト Lacoste/R.コルパン)
《ジグザグII》 Zig et Zag II (ラコスト産石灰石 / 2.0m x 0.4 x 0.4/ 1996年9月/ ラコスト Lacoste)
日本
《石凧》 Cerf-Volant de pierre(安山岩/ 2.6m x 1 x 0.5/ 1963年7月/ 渡辺翁記念会館/宇部市第一回野外彫刻展 (UBEビエンナーレ)、山口)
《道無》 Michinashi (石/2.0m x 1 x 0.9/ 1963年8月/ 富田林PL教団、大阪/朝日新聞主催、世界近代彫刻シンポジウム真鶴 神奈川県にて作製)
《きたぎ》 Kitagi (花崗岩/ 2.3m x 1.0 x 0.5/ 1964年7月/ 北木島中学校、岡山)
《余韻の化石》 Les murs des fossiles (花崗岩/ 2.0m x 93.0 x 0.3/ 1964年9月/ 国立代々木競技場/丹下健三依頼 /尚、余韻の化石は、旅、炎、重さ、香り、執念、水、知恵、時、音、光の10点の彫刻で構成)
《四季の柱》 Colonne de la Saison (花崗岩/ 2.25m / 1964年/ 第二体育館中庭 国立代々木競技場)[6]
《むつら石》 Group de 6 (花崗岩/ 1.2m / 1964年/ 第二体育館前 国立代々木競技場)
《石のとびら》 Rideau de pierre (石/ 2.0m x 0.6 x 0.7/ 1969年2月/公益財団法人彫刻の森芸術文化財団、神奈川、第一回彫刻展招待)
《五合目標》 La borne du mi-chemin (大理石/ 1.0m x 2.0 x 0.4/ 1969年3月/ 箱根彫刻の森美術館、神奈川、第一回彫刻展招待)[82]
《石器 No3》 Trois outils en pierre nr. 3 (石/ 0.4m x 0.4 x 0.4/ 1971年 / 京都国立近代美術館 / 京都府 ヨーロッパの日本作家展 1972年)
《複揺》 Oscillo-complexe (水成岩/ 3.0m x 1.3 x 1.2/ 1981年1月/美ヶ原高原美術館 長野、第二回ヘンリー・ムーア大賞展より招待)
《飛 (Hi)》 Hi (抗火石の熱処理/ 3.0m x 8.0 x 0.25/ 1981年11月/金門製作所志木研修センター 新座市 / 小野田元)
《ブロンズ パズル》 Pazzle-fonte (ブロンズ/ 2.2m x 2.1 x 0.15/ 1984年2月/ 私邸 東京都
《舞 コロナ》 Mai Couronne (ブロンズ/ 1.0m x 1.1 x 0.5/ 1984年10月/ 三陽商会 市谷 東京都 吉原信之)
《赤錐》 Méche rouge (インド砂岩/ 2.0m x 0.65 x 0.5/ 1984年11月/ 杉野製石 大垣 岐阜県/ 日動画廊現代美術展 及び千葉の歩会展出展)
《デート6》 Six crête (インド砂岩/ 7.0m x 2.2 x 2.0 放水部:16.0m x 32.0/ 1985年6月/ 神戸ユニバーシアード彫刻噴水、総合運動公園駅南口前に設置、兵庫)
《石縁》 Oscillo-complex (大理石/ 2.0m x 0.8 x 0.7/ 1986年4月/ 札幌芸術の森美術館(札幌芸術の森野外美術館),北海道)
《笑石II》 Pierre qui rit II (花崗岩/ 2.0m x 0.65 x 0.6/ 1987年6月/ 慶恩寺、奈良/ 白川阿童師)
《希望の扉》 Porte d’espérance (インド砂岩 花崗岩/2.5m x 2.0 x 0.7/ 1987年10月/大阪バイオサイエンス研究所、大阪)
《石順》 Jijun: Soumission (トルコトラバーチン/1.2m x 1.1 x 0.5/ 1988年6月/岐阜経済大学、岐阜)
《綾柱》 Colonne sapin (花崗岩/3.0m x 0.95 x 0.95/ 1991年6月/渋川文化会館、群馬)
《マンガン》 Dix mille bouquins (花崗岩/ 6.0m x 1.2 x 1.1/ 1991年10月 アズビル金門株式会社 博多研究所/ 小野田元)[89]
《石は呼ぶ》 La pierre qui m’appelle (花崗岩/ 3.0m x 0.95 x 0.95/ 1991年2月/岐阜経済大学、岐阜)
《白錐》 Méche blanche (花崗岩/ 3.0m x 0.7 x 0.7/ 1992年4月/ 大和いすゞ車体工業(株)/ 中塚武司)
《水登》 Jet d’eau (インド砂岩 花崗岩/6.0m x 1.1 x 1.1/ 1992年6月/スイトピアセンター、岐阜)
《球登I》 Boules en chapelet I (花崗岩/ 3.0m x 1.1 x 0.95/ 1992年11月/大垣三城公園、岐阜)
《球登II》 Boules en chapelets II (花崗岩/ 3.2m x 1.0 x 1.0/ 1993年11月/ 長谷工コーポレーション辰野平野町ビル、大阪府)[90]
《波郎》 Gardien (花崗岩/ 2.5m x 1.2 x 0.7/ 1994年4月/ 長谷工コーポレーション、大阪)
《弥祝 みのり》 Récolte (花崗岩/ 1.1m x 0.5 x 0.45/ 1996年5月/ アズビル京都株式会社、京都府/ 小野田元 黒川紀章)
《舞》 Dance (花崗岩/ 1.2m x 0.4 x 0.4/ 1996年10月/常滑市運動公園、愛知)
《悠飛》 Envol (花崗岩/ 4.0m x 1.2 x 0.8/ 1996年11月/ 芸濃 金門(株) 三重県)
《開空 ひらく》 Ouverture (花崗岩/ 3.0m x 1.2 x 0.7/ 1997年11月/大垣市情報工房、岐阜)
《集宇 つどう》 Têtes assemblées (トルコトラバーチン/ 3.5m x 2.2 x 0.9/ 1998年3月/ 大垣市情報工房、岐阜)
《対喜》 Couple heaureux (花崗岩/ 3.0m x 2.5 x 1.2/ 1998年6月/ アズビル金門和歌山株式会社 和歌山県)
その他の国々
《天国への鍵》 Clef au ciel (石 / 3.8m x 0.8 x 0.85 / 1960年9月/ オーストリア、サン・マルガレーテンの第二回国際彫刻シンポジウムにて制作、後にスイス、チュリッヒ州、ツオリコンにて設置)
《道しるべII》 Borne II (大理石 / 2.5m x 1.0 x 1.2 / 1961年8月 / スロベニア、ボルトローチ/ 第一回国際彫刻シンポジウム)
《道しるべIII》 Borne III (石/ 2.5m x 0.8 x 0.9 / 1961年9月 / ドイツ、キルヒハイム/ 国際彫刻シンポジウム)
《愛の鍵》 Clef d’amour (ユラ産大理石 / 4.0m x 0.9 x 0.6 / 1962年5月/ ドイツ ベルリン民衆広場 / 第一回ベルリン国際彫刻シンポジウム)[95]
《夏ベルリン》 L’été de Berlin (石 / 2.0 m x 0.7 x 0.7/1962年/ ドイツ ベルリン)
《ふたば》 Les germes (石/ 2m x 0.7 x 0.7/ 1962年/ ドイツ ベルリン)
《ネゲブの自然に捧ぐ》 Hommage à Néguev (ハイファ産大理石 / 3.7m x 1.7 x 0.6 / 1962年10月 / イスラエル、ネゲブ砂漠/ 第一回イスラエル国際彫刻シンポジウム)
《冬のベルリン》 L’hiver de Berlin (石 / 1.3 m x 0.6 x 0.6/ 1963年 / ドイツ ベルリン)
《タトラ山獄に捧ぐ》 Hommage à Tatra (石 / 3.5m x 3.0 x 0.65/ 1966年8月 / スロバキア、ビシネリリューズバキー /第一回スロバキア国際彫刻シンポジウム)
《三つの軌跡》 Trois Traces (バーモント産大理石 /3個 x 2.0m x 3.0 x 0.9/ 1968年9月/ アメリカ、バーモント州 ランドルフ /第一回アメリカ国際彫刻シンポジウム)
《バビエカ》 Babieca (Tête de cheval) (ブロンズ/ 2.83m x 1.2 x 1.2 / 1968年 スペイン バルセロナ サンモンジュイック公園)[100]
《光のたき》 Cascade de la lumiére (石 / 4.3m x 0.9 x 1.0 /1969年5月 /ドイツ オゲルスハウゼン フェーダー湖畔 国際彫刻シンポジウム)
《笑いのこだま》 L’écho du Rire (バーモント産大理石 /2.3m x 1.8 x 1.0 /1973年4月/アメリカ、フロリダ州 レンネン財団 後にパームビーチ州立カレッジ(英語版)に設置)
《白煙》 Fumée blanche (コニャック産石灰石 / 3.1m x 1.1 x 0.9 / 1975年5月 / ベルギー、アントワープ、ミドルハイム彫刻公園)
《移り気なリュベロン山》 Caprice de Luberon (大理石 / アメリカ カリフォルニア パームスプリングス国際空港 )
テレビドキュメンタリー:水井康雄 1982
テレビドキュメンタリー:水井康雄 1982
ドキュメント 日本人『石に太陽の命を吹きこむ男』
ABU アジア放送連合特別賞
民間放送連盟社会番組優秀賞
放送文化基金奨励賞
フジテレビフィルム技術賞