インスピレーション・デッサン

デッサンと完成作品

ジグザグ
『作品集』42ページ

 水井の手帳

書道

『百まで生きよう』 2004

水井は、2004年の元旦に、自らの決意を書いた。
それは、健康で百歳まで生きるという一つの宣誓であり、
水井にとって、生涯における最終目標であった。
その決意も虚しく、2008年この世から旅立った。

『いろは歌』 1991

10世紀末から11世紀半ばの間に成立。
いろはにほへと 歌は七五調を4回繰り返す今様という形式
「香り豊かで色鮮やかに咲き誇る花も、いずれは散ってしまう」
「この世に生きる誰しもが、いつまでも生き続けられるものではない」
「無常で有為転変の迷い、その奥山を今乗り越えていく」
「悟りの世界に至れば儚い夢を見ることなく、仮想の世界に酔うこともない安らかな心境である

「諸行無常 是生滅法」「生滅滅已 寂滅為楽」の悟りの歌の教えを見事に47音で表現されてい
る。

『羊』 2003

水井は、毎年一年の初めに、その年の干支の書を書くことを常としてい
た。日本の慣習で、1月2日に書道をする。一年の初めの心清めて書く。
羊年、羊の毛を彷彿とされる筆捌き。

『龍』 2000

龍の年、龍の長い胴体をイメージして、本来の漢字をわざと崩して、
  龍の体の躍動感を表現している。

 ファミリーアーチ

石 / 2.5m x 3.6 x 1.1/ 1982年5月 /ラット・モンペリエ、Lattes, Montpellier)

水井康雄の傑作の一例
ファミリーアーチ(1982)
それぞれの石のデザインは全体の構造に関連しつつ統合されている。
波と弧の形の相互的な力関係を持つこの作品は、象徴的であると共に技術的な作品である。

Lacoste

フランスの家

長らく、パリに住んでいたが、プロバンスにアトリエ兼自宅を自らの手で設計し、建築した。
それは、1ヘクタールのジャングルのような森の整備から始まった。
土地の購入から10年後、建築の許可がおり、プロバンスとパリと行き来しながら自分の手で、コツコツと作り上げた。1985年に外観完成。1997年にパリから引っ越す。建築のフォームの原点は、石のアーチで、すなわち石の虹である。森には、大小60点の石の彫刻の庭になっている。

自然

流木の根を磨きあげたもの。コストの水井康雄展にて。

水井は、流木を磨き上げる。
枯れた木は、川の流れの水で清められ、そして水井の手によって、
さらに磨き上げられる。
枯れた木は、新しい生命をいただく。
水井は筆を使って手で字を書く、書道。
心の動きを筆に託しながら。
メタグラフィー、インクの流れを自然に任せる。
水井の心は、瞬間の自然の生命の動きを聴いて、その魂を見出す。

人生における三人の女性 

清公 ( 1928 – 1970 ) 最初の妻
婚姻期間  ( 1947 – 1970 )
京都で知り合った女性。大恋愛の末、水井の後を追ってパリで共に生活する。しかし、病に倒れ、水井の看病の末、パリに死す。

Photographie © Ian Cook

美代子 ( 1918 – 2005 ) 二人目の妻
婚姻期間 ( 1973 – 2005 )
清公亡き後、パリで知り合った、服飾関係のジャーナリスト。活発な彼女から、新しい気持ちを外に向ける。

藤原 慶子 ( 1935 –
美代子と共に日本からきたアシスタント、1975 年以降、水井夫妻のパリでの生活全般、作品設置の手伝いなど、全てにおいての 縁の下の力持ちであったアシスタント。水井の死後も、その場所を守っている。

石の感触

水井の石の仕事は、全て手仕事である。ハンマー、さあざまな鑿を使って石に向かう。 石の表面は、あえて手触りとしての触感、影の深さなどを 石の表情を見ながら完成させる。大きなフォルムとしての石と、石の質感としての表情の調和がそこにある。

最後の作品 /遺言

水井は、2004年の新年に、彼の障害の最終作品である『臥龍』のデッサンをする。

その構想は水井の庭で準備され、整えられていたが、2008年に亡くなり、彼の志を果たすことができなかった作品。横たわる龍は、いつか飛び立つのだろう。